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気になったものはなんでもスクラップ


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leletoneからリブログ

YouTubeが出だしの頃、スターウォーズ関連動画が一斉に消されるという事件があって、それに対して、当のルーカスが、ファンが作ったものを消すなんてけしからん!ってぶち切れたって話がありました。

そうだよねえ、ルーカス。やっぱあんたえらいよ。そのおかげでこんなすごいものができたんだものねえ。

ついでに書いておくと、ルーカスはスターウォーズ上映時、フォックスに何を言われても、キャラクターの版権だけはゆずらなくて、それをファンが買いまくったおかげで、その後のスターウォーズなり、ルーカスフィルムの繁栄があるわけです。

うっかり忘れそうになりますが、スターウォーズって、自主制作映画ですから(世界最大だけど)。

それが実現できているのは、ファンのおかげだから、ルーカスさんは無粋なことしない。だから、またファンの愛が広がっていく。

ルーカスさん見逃してるなんてレベルじゃないものね、もっとやれって言ってるんだものね。

「Star Wars Uncut: Director’s Cut」という途方もないファンの愛情の固まり:[mi]みたいもん! (via leletone)

(katoyuuから)

deviantartからリブログ
ノルウェーのトロムス県、トロムヴィックの山々の上に現れた、花火のようなオーロラ。 (連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

ノルウェーのトロムス県、トロムヴィックの山々の上に現れた、花火のようなオーロラ。 (連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

遠い地平線上に光る稲妻のようなオーロラ。アイルランド、ドニゴール州イニショーウェンのマリンヘッドで撮影。
(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

遠い地平線上に光る稲妻のようなオーロラ。アイルランド、ドニゴール州イニショーウェンのマリンヘッドで撮影。

(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

長時間露出と暗い森が、オーロラと夜空の光景を形作っている。ミネソタ州グランドマレーで撮影。
(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

長時間露出と暗い森が、オーロラと夜空の光景を形作っている。ミネソタ州グランドマレーで撮影。

(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

数年の静穏期を経て、太陽が活動を開始した。1月下旬には太陽フレアが連続して発生し、放射線が地球に到達。これにより北半球各地の裏庭から見事なオーロラを観測できる夜が続いた。
(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

数年の静穏期を経て、太陽が活動を開始した。1月下旬には太陽フレアが連続して発生し、放射線が地球に到達。これにより北半球各地の裏庭から見事なオーロラを観測できる夜が続いた。

(連続する太陽フレアとオーロラ:ギャラリー « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

筆者の家にはこのほど、『Brompton』の折りたたみ自転車をしまえる巨大なスーツケースが到着した。“受託手荷物”という危険地帯を安全に通過するためのものだ。そのすぐ後で、この「バックパック・スクーター」について知った。荷物と交通手段を、ハンディで持ち運びしやすい(あるいは乗りやすい)パッケージにしたものだ。 ギュスターヴォ・ブレンクのデザインによるこのスクーターは『Gig Pack』と呼ばれ、バックパックからスクーターに数秒で変身できる。
(スクーターに変身するバックパック « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

筆者の家にはこのほど、『Brompton』の折りたたみ自転車をしまえる巨大なスーツケースが到着した。“受託手荷物”という危険地帯を安全に通過するためのものだ。そのすぐ後で、この「バックパック・スクーター」について知った。荷物と交通手段を、ハンディで持ち運びしやすい(あるいは乗りやすい)パッケージにしたものだ。 ギュスターヴォ・ブレンクのデザインによるこのスクーターは『Gig Pack』と呼ばれ、バックパックからスクーターに数秒で変身できる。

(スクーターに変身するバックパック « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

HP社の『VantagePoint』は、47インチ・ディスプレイを6台組み合わせ、約3.3mの巨大なひとつのタッチスクリーンとして動作する。32本の指を同時に認識できる。
(未来的なHP社の「壁面タッチスクリーン」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

HP社の『VantagePoint』は、47インチ・ディスプレイを6台組み合わせ、約3.3mの巨大なひとつのタッチスクリーンとして動作する。32本の指を同時に認識できる。

(未来的なHP社の「壁面タッチスクリーン」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズムから)

magicalnaturetourからリブログ
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なぜ、こうしたひとが橋下市長の手法に「ついてゆけない」のか朝生をみてわかったことがあって、
ようは「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。

ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。
ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。

(中略)

おおくの反橋下の思い込みに反して、政治とはもともと橋下市長が志向するようにビジネスモデルそのものだ。
国づくりの理念に燃えた明治政府も資金の調達と費用対効果で優先順位を決めた。
地方行政はとくに顕著で、たとえば優秀な自治体は「株式会社神戸市」などと言われるようにコスト意識と収益モデルをもっている。
こういうと、公務員が金儲けに精を出すなんてとんでもない、と言うひとが必ずでてくるけど、
弊害を気にして「やらない」のが今の日本のやる気のなさにつながってるのではないか。

無害な社会なんてないということを日本は新興国から学んだほうがいいとおもう。
あまりにも高潔すぎて国際基準から外れている。許容範囲をもたないと前に進む力が弱い。

薬師院やら香山リカやらの「ついてゆけないひと」は、少数を切り捨てる勇気をもてないかわいそうなひとだ。
少数を切り捨てるというだけでおそらく「大問題」になるのだろう。
結果、多数の最適化がとれないことになっても、それ自体にも不満をもつのでおんなじだ。
これが日本の縮図で、けっきょく、「ついてゆけないひと」というのは「決定できないひと」のことなんだ。
決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめないのだ。
だから、決定するひとが現れると、「保証」を要求する。「保証」がないと前に進めない人間なんだ。
橋下市長があたらしいことを打ち出すだけで恐怖し安全かどうか担保をしろという彼らこそ「モンスター」にちがいない。

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。 - 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )

朝生を見ていないので「ついてゆけないひと」という評価が適切かどうかすら私には分かりませんが…。

論者のいうとおり、「橋下市長の行動はビジネスの視点からみると理解できる」と仮定しましょう。つまり、市長は経済的合理化を図っているという評価ですね。

ただ、この仮定を受け入れてもなお、問題は残ります。それは、論者の想定とは異なり、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」ではないのでは?ということです。

「小さな政府」を目指す立場があります。これは、民間で提供できるサービスはなるべく民間に任せて、政府・行政の規模と権限を小さくしようと指向するものです。しかし、「小さな政府」を支持していても、政府をなくしてしまえと主張する人はいません。

それはなぜかというと、市場が失敗してしまうからです。

「市場の失敗」典型例とされるのが、灯台です。灯台は夜の航海を安全にしてくれる必要な設備です。でも、灯台がビジネスとして成立するかというと、そうはいきません。光は、料金を払った船も払わない船も等しく導いてくれます。そうなると、料金を払うなんて損のような気がしてきて、支払わなくなるひとが増加するでしょう。でも、それでは灯台の経営が立ち行かなくなってしまいます。灯台を廃業されたら、夜の海は危険になり、やがては航海できなくなってしまうにもかかわらず……。

こういう、市場メカニズムがはたらくことで、かえって経済的な「効率性」が達成されなくなってしまうことを「市場の失敗」といいます。灯台のほかにも、環境問題などが典型例とされています。

つまり、政府・行政には、民間だとたちゆかないけれど、でも、あった方がみんなのためになるものを引受けているという部分もあるのです(もちろん、民間で代替できそうなサービスを行っている場合もありますが)。

そうすると、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」とはいえない部分もある、という結論に至ると思います。

行政の効率化をめざす手段として、経営的見地を生かす、という視点は10年くらい前からの流行です。ただ、ビジネス的見地を徹底し、不採算部門を切り捨てるのであれば、それは政治や行政の意義そのものの放棄にあたります。

なお、政治や行政とは少しそれてしまいますが…「多数の最適化」を理由として過度の「少数」に対する「切り捨て」が起きないように、法という「足かせ」が、政治家や行政府にかされています。そのような束縛を、一般論としてやめる選択を、大阪市民はしたのでしょうか?(論者のいう「少数を切り捨てる」ということが、何を意味し、どの程度を想定しているか、必ずしも明らかではありませんけれども)

価値観の多元化する社会において「決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめない」というのは、もっともなことだと思います。また、その「遅さ」に対する焦燥やいらだちも理解できるのですが…。橋下市長(または「反橋下派」)の(個別具体の政策でなく)姿勢そのものに対する議論はよくわからないことが多いです。

(via inf)

(jaconyから)